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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)7445号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一、ところが、請求原因一の(五)の事故態様の点については、被告が争うので、まずこの点について判断する。<証拠略>によると、遠藤が加害車を運転して通称国分寺駅北口大通りを同駅方面に向い進行し、本件交差点において通称国分寺街道へ左折すべく右交差点の直前で方向指示器に点灯しながらやや大廻り気味に左折し始め、国分寺街道の横断歩道にさしかかる直前の地点で一時停止し、一応左右を見たものの、充分な左方の安全の確認義務を怠つたため自車の左側方を直進中の原告運転の自転車(被害車)を見落し、そのまま毎時一〇キロメートルの速度で左折をつづけたため、本件交差点内の右横断歩道上で被害車に乗車中の原告のシャツに自車の左側中央部にある荷台足かけ部分を接触させて、原告を転倒させ、原告の腰部付近を左後輪でひきずり、(なお、加害車の左中央部が原告に接触し、原告を左後輪でひいた点は当事者間に争がない。)原告の悲鳴とショックを感じて急ブレーキをかけたこと、原告は、被害車(自転車)を運転して前記国分寺駅北口大通りを同駅方面に向い南進していたが本件交差点にさしかかる数メートル手前で後方約五メートルの地点を進行中の加害車を見かけたが、いまだ左折の合図をしていなかつた(その直後に合図した)ので同車も直進するものと考え、前方および左方の安全を確認して直進し始めたところ、左折中の加害車が右後方から接近してくるのに気付き、自車のハンドルを左に切つて衝突を避けようとしたが間に合わず、前記のとおり接触転倒したことが認められ、(なお、右の加害車の左折中に事故が発生したことは当事者間に争いがない。)<反証排斤略>。

右事実によれば、原告にも、自車の右後方数メートルの地点に加害車が接近していたのに、その動静に注意せず、前方および右方を注視したまま進行した過失があつたことが明らかである。また、<証拠>を総合すると、本件事故現場は、加害車および被害車が初め進行してきた南北に通ずる幅員六メートルの歩車道の区別のないアスフアルト舗装の通称国分寺駅北口大通りと東西に通ずる幅員7.8メートルの歩車道の区別のないアスファルト舗装の通称国分寺街道とのT字路交差点の横断歩道上であるところ、南北角は角切りされていて見透しは良好であるが、両道路の両側は商店街で、交通量はバスその他の車両および歩行者の通行が頻繁な場所であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そこで、以上の諸事実に、加害車の運転者遠藤の前記過失、加害車と被害車の車種の相違その他諸般の事情を総合すると、原告の損害について一五パーセントの過失相殺をするのを相当と考える。

二、被告の運行供用者責任の有無

<証拠>を総合すると、遠藤は昭和四一年三月頃砂利、砂、その他建材の運搬を業とする被告会社に運転手(当初は見習)として入社し同社の右業務に従事してきたが、その中に被告会社が同社の営業用の自動車について償却制度なるものを採用し、運転手の大部分の者に被告所有の自動車を割賦払により譲渡することになり、右遠藤も加害車の割賦譲渡を受けることになつて、被告会社より出来高払い賃金の中から加害車の右割賦金、燃料費等を控除したものの支払いを受けていたこと、しかし、遠藤は被告の償却制度採用後も独立して運搬業を行なうのではなく、被告の従業員としてその業務に従事しており、本件事故当時加害車はいまだ被告の所有であつたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、他にこれを覆すに足りる証拠もない。以上認定の事実からすれば、遠藤は被告会社の指摘・監督の下に被告のために加害車を運転していたことが推認され、前記のとおり遠藤が被告から加害車の割賦譲渡をうけつつあつたとはいえ、右事実によつて被告の加害車に対する運行支配および運行利益が失われたものとは到底云えないから、被告は本件事故による損害について運行供用者としての責任を免れないものというべきである。

三、原告には前記の後遺症が残つているところ、<証拠>によると、原告の左股関節は著しい運動制限と疼痛を伴い、右股関節も運動時に疼痛を伴い、臀筋、大腿筋の萎縮が著明で、左仙腸関節は強直となり、結局常時コルセット着用を必要とし、下肢を用いる運動は不可能であるうえ、びつこをひく状態であること、また尿管断裂と膀胱損傷のため現在も尿失禁、残尿のために用便時に被服を汚す始未であること、原告は本件事故当時は普通の健康体の高校生であつて、建築工学方面へ進む志望であつたが、現在では法科系を志望し、青山学院大学経済学部に通学していることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして、原告の前記後遺症は、性質上回復が望めないものの、原告が今後前記後遺症を有していても比較的支障の少い職業を選択し、かつ、その労働に漸時身体を慣らして行くであろうことは経験則上推測に難くない。以上認定の事実に労働省労働基準局通諜の労働能力喪失率表など参酌すると、原告は少くとも男子労働者の平均賃金程度を稼ぐに足りる労働能力を有していたところ、本件事故による前記後遺症のために、その稼働期間中を通じて、右能力の一八パーセント程度を喪失したものと認めることができる。ところで、労働大臣官房労働統計調査部編の「昭和四五年における賃金構造の概要について」によると、昭和四五年における男子労働者の平均月間給与は六万八四〇円、年間賞与その他の特別給与は二〇万六一〇〇円であることが明らかであり、また、原告の稼働可能年数が原告主張の二〇才から六〇才(なお、平均余命が六〇才を超えることは明らかである。)までの四〇年間を下らないであろうことも推認することができる。そこで、原告が右稼働期間中に労働能力喪失によつて失なう逸失利益を、本訴の遅延損害金の起算日である昭和四五年八月一九日の時点に一時に支払いをうけるものとして、ライプニツツ式(年別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除すると、計算上三〇二万〇六八七円となる。

(加藤和夫)

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